江戸時代,日本では「和算」と呼ばれる数学が発達しました。和算は,中国から伝わってきた
「天元術」という数学をもとに,日本人が独自につくりあげた数学で,ニュートンらが研究した
ヨーロッパの数学にも匹敵する高度なものでした。
当時の有名な和算家の1人に,吉田光由がいます。吉田光由は,『塵劫記』という一般向けの学びやすい数学の本を書き,和算の発展に大きく貢献しました。塵劫記には,ねずみ算や鶴亀算などの
有名な問題も扱われています。
また,江戸時代に活躍した和算家の関孝和(1640ごろ〜1708)は,方程式の新しい解き方
「点竄術」を開発しました。
関孝和は,「せきこうわ」とも
呼ばれているよ。
円周率の詳細な近似値を求めた
ことなどで知られているよ。
それまでの日本では,方程式を解くために,算木と
呼ばれる木の棒を使っていました。点竄術は,道具を使わずに紙の上に数式を書いて解く方法で,これによって複数の
文字がふくまれる方程式を解くことも容易になりました。
関はこのほかにもさまざまな業績を残し,多くの弟子と
ともに関流という流派をつくりました。和算の流派には,
関流のほかにも,山形県出身の会田安明を中心とする最上流などがあり,各地で和算が発展しました。
当時の人々は,難しい問題が解けたときなどに,その問題を絵馬に書いて神社などに奉納しました。この絵馬は
「算額」と呼ばれ,現在も各地の神社で当時のものを見る
ことができます。
明治時代以降は,ヨーロッパの「洋算」が導入されましたが,その後も多くの日本人数学者が重要な功績をあげて
います。たとえば,京都大学の望月新一教授が,長年世界中の数学者を悩ませた「ABC予想」という問題を解決したと
発表し,注目されています。
「正月にねずみ,父母いでて,子を十二ひきうむ,おやともに十四ひきに成也。
此ねずみ二月には子も又子を十二ひきずつうむゆえに,おやともに九十八ひきに成。
かくのごとく,月に一度ずつ,おやも子も,まごもひこも月々に十二ひきずつうむとき,十二月の間になにほどに成ぞといふときに,二百七十六億八千二百五十七万四千四百二ひき」
1月にねずみのつがい(夫婦)がいて,子を12匹生むと,親と合わせて14匹になる。
2月に親と子(7のつがい)が12匹ずつ生むため,親と合わせて98匹になる。
このように,月に一度ずつ,親も子も孫もひ孫も月々12匹ずつ生むとき, 12月には何匹になるかというと,276億8257万4402匹となる。